松山善三の奥さんは高峰秀子!2人の子供は?

Pocket

映画監督で脚本家でもあった
松山善三さんが8月27日に
亡くなられていたという
ニュースがありました。

松山さんは老衰のため
91歳で亡くなられたということで
大往生だったと思います。

松山さんの奥様は大女優の高峰秀子さんです。
誰もが一度は聞いたことがあるのではないかと
思います。

高峰さんはとても美人だという印象がありましたが
松山さんの奥様だったということは
初めて知りました。

高峰秀子さんは既に他界されておりますが
今回は松山善三さんと高峰秀子さん、そして
子供について調べましたのでゆっくりご覧ください。

松山善三のプロフィール


9b5acddde71ade0ff50b3fab7f5a2af3
生年月日 1925年4月3日
出身   兵庫県神戸市

岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)に
入学するが中退した。

アルバイトをしている雑誌社にて
脚本家と出会い映画に興味を持った。

その後、1948年松竹の助監督公募に合格し
松竹大船撮影所で働きはじめました。

1954年「荒城の月」で脚本家デビューを果たした。

1961年耳が不自由な夫婦の生活を描いた
「名もなく貧しく美しく」で監督デビューした。

その後、「ふたりのイーダ」、「典子は、今」など
数々の話題作の監督や脚本を手がけました。

その功績が認められ
1987年に紫綬褒章、
1995年に勲四等旭日小綬章を受章しました。

高峰秀子のプロフィール


Hideko_Takamine
本名 松山 秀子(まつやま ひでこ)
生年月日 1924年3月27日
出身地 北海道

北海道出身でご実家は
もともとお蕎麦屋さんや喫茶店、劇場など
複数の経営をしていたようです。

4歳の時にお母様が亡くなり
東京の叔母さんに養女として
もらわれました。

1929年9月に蒲田撮影所に連れられて
見学に行った時にちょうど
子役のオーディションをやっていたそうです。

その時に養父がオーディションの最後の列に
並ばせて受けさせたようです。

その際、飛びいり参加にも関わらず
監督に気に入られて娘役に選ばれました。

そこで、子役デビューとなり
その後は天才子役として活躍していくことになりました。

子役の時から売れっ子だったようで
相当に忙しかったようで
学校にもまともに通えなかったとのことです。

14歳には東宝映画に移籍しますます
活躍するようになりました。

誰もが一度は聞いたことは
あると思いますがその中でも
1949年公開の「銀座のカンカン娘」は
大ヒットしました。

主題歌のレコードがなんと42万枚の
売上がありました。

戦後間もない頃の売上なので
相当な大人気だったのではないかと思います。

そして引退するまで出演した映画は
なんと319本でした。

高峰秀子は「子役出身に大女優・名優なし」
とのジンクスを破り子供の役から
見事に大人の女を演じるまでに
女優・役者として大成しました。

役柄も非常に幅広く
多種多様で百変化というべき
その役にあわせた演技ができるという点で
まさに大女優・名俳優だったというべきでしょう。

外見が美女というだけではなく
中身も素晴らしい女性だったと思います。

二人の子供は?


v040802
とても仲むつまじい夫婦だった
松山善三さんと高峰秀子さんでしたが
お二人は子供をもうけることは
ありませんでした。

養女として、ライターの
斉藤明美さんを迎えています。

斉藤明美さんは
「とうちゃん」「かあちゃん」と
お二人を呼びお慕いしていたとのことです。

彼女がお二人の養女になったのは
松山善三さんが86歳の時だったそうです。

お二人にとっては晩年でしたね。

最後に


松山善三さんと
高峰秀子さんは
本当におしどり夫婦で
仲がよかったと言われてます。

まさに運命の赤い糸で結ばれていた
お二人だったのだと思います。

あの世でも仲良くしているのでしょうか。

ご冥福をお祈りします。

よろしければこちらの記事も是非どうぞ!
独身女子アナウンサーの人気とスタイルの関係
女子アナウンサーは 清潔感があって清楚、さらに知的な 雰囲気を出しつつ見ている人を いやしてくれますよね。 女子アナウンサー...
小芝風花の母親、妹は?結婚はいつ?本名は?
小芝風花は魔女宅こと魔女の宅急便に キキ役に出演したことで有名ですね。 どことなく、幼さを残しつつ かわいらしい顔立ちをして...
スポンサーリンク